入社当時、ホンダ鈴鹿SSでは社内駅伝大会が催されていた
一番の「若手」だった無限さんは、課内(150人前後)で2番目に速かった
運動オンチに近かったが、長距離は少し自信が有った
東コースを2周する まだまだ元気な2周目突入時の写真
(大阪出身の同期社員の実家に行った帰りで、徹夜明けで走った)
髪も長く 若い(18歳9か月) 1971年6月(と写真の裏に記している)
アップダウンが激しい鈴鹿のコースを、自分の足で競争したのも良き思い出
まだ、オートバイ部(鈴鹿レーシング)に入部していなかった(7月入部?)
入社3年目でも、まだ充分に脚力が有ったので走った(21歳)
S字の5コーナー(昔の)辺りか? 伴走ライダーのヘルは無限さんの物
服装と枯草を見ると、季節は冬場かな
路面は一般公道に見えるが、立派なサーキットの一部だ(スポンジ無の頃)
転倒するとガードレールまで飛んで行く(この辺りで雨天転倒の経験あり)
箱根駅伝の5/6区が面白くて毎年欠かさずTV観戦している
「ヒイキ」の学校は無い 無限さんも「下り」は得意だった(笑)